遊びの中の学び

阿久根めぐみこども園は「今、子どもたちにとって大切なことは何か」ということをいつも考えています。
「子どもの主体性」を大切にしていますが、保育者の意図性をもつことも必要です。子どもたちが集団のルールを理解することや、「まだ遊びたいけど部屋に帰ろうかな」と自分で気持ちを切り替えながら動く姿も大事にしたいと思っています。
集団のルールを守ることは、3歳になったらできるようになるものではなく、まずは身近な存在である先生のことを好きなり(信頼し)、友だちと一緒に楽しく遊ぶことを経験することから広がってきます。もっと一緒にいたいな、遊びたいなという気持ちが、集団で過ごす居心地のよさにつながっていきます。

子どもは何もできない存在ではありません。 環境(空間)が整えられ、時間が作られ、仲間ができることで、自ら主体的に学んでいくようになるのです。 (この空間、時間、仲間を子どもが育つ「三つの間でさんま」とも言います)
大人が子どもたちの育ちをみる時、大人の物差しで「できる」「できない」という『結果』だけをみるのではなく、今の「子どもの気持ち」を想像しながら、育っていること・育とうとしていること・頑張っていること(過程)もみてもらえたらと思います。
わくわくタイム

わくわくタイムとは、和久洋三氏が考案した童具(積木やビーズ)を使い立体作品を作ったり、クレヨンや絵の具などをいろいろな材料でダイナミックに表現したりする創造活動のことです。
子どもたちは、積木をいろいろな物に見立てながら表現していきます。完成するまで一言もしゃべらずに積んでいく子もいますし、途中で「これはね~」と丁寧に説明しながら積んでいく子もいます。
どの子どもたちも瞳をキラキラさせながら造形していきます。絵の具遊びは、0歳児も楽しみます。筆を動かすときれいな色が広がっていく心地よさを感じているようです。小さな子ども達が夢中で筆を動かし、「はぁ~」っと満足のため息をして筆を置く姿も珍しい姿ではありません。
めぐみでは、いろいろな場面でそんな姿を見かけます。どれも大切にしたい子ども達の姿です。
結果より過程を

めぐみでは「できた」という結果よりも、「やってみたい」という興味や思い、そして「もっとやってみたい」という過程を大切にしています。 楽しいな、嬉しいな、もっとしてみたいなという気持ちが続くと、今までできなかったことがいつの間にかできるようになっていたり、よい結果が出なくても満足できたりすることがあります。
過程を楽しめていると、難しいかも・できないかもの時に立ち止まってしまうのではなく、結果だけを気にせずにやってみようと思えるようになります。やってみたけど難しかったなという本人なりの納得する気持ちも大事にしたいと思っています。
ごっこ遊びの先にある姿

めぐみの保育では、練習という言葉をあまり使いません。例えば、運動会では「運動会ごっこ」を通して本番を迎えます。「運動会ごっこ」ですから、「昨日は頑張ったけど、今日は走りたくないなぁ…」と思ったら、今日は見ている日があってもいいんです。
逆に、もっと走りたい子は、何回でも走ってみてもいいんです。負けたから悔しい、けんかした後だから走りたくない、別な友だちと走りたかったなど、走りたくないという子どもたちの理由はさまざまです。
めぐみでは、無理して参加するのではなく、安心して参加できる環境を大切にしています。どの子どもたちも、本番は緊張していたとしても、その前後ではとっても楽しそうに過ごしています。そんな姿も大事にしたいと思います。
あこがれる

青帽子(年長児)がかっこよく演奏したり演技したりする姿を見て、年下の子どもたちが「かっこいいな」「自分もやってみたいな」とあこがれます。 高い木に登れる友だちがいたら、自分も登ってみたくなります。
一輪車に乗れる友だちがいたら、自分も乗ってみたくなります。誰かにあこがれるというのは、「やってみたい」の大事な原動力です。
自然とふれあう

めぐみでは、季節にあまりこだわらず、土・砂・水を自由に使えるような環境をつくっています。目を輝かせながら泥まみれになって遊んでいる子どもたちの姿を見ると保育者たちは嬉しくなります。
そして、『洗濯かあちゃん・とうちゃん』今日も洗濯お願いしますねと思いながら、泥色に染まった服を毎日お返ししています。「楽しかったよ」の跡がいっぱい残った服や靴の洗濯、よろしくお願いします。
正確には分かりませんが、ほとんどの子どもたちが本能的にそうした遊びを「楽しい、気持ちいい」と感じているのだと思います。めぐみでは、こうした遊びをとても大切だと考えています。こうした自然物が子どもの心も体をのびのびと解放しながら「自分」を表出しやすくするそうようです。
砂や土での遊びしながら、子どもたちはよく笑い、よくおしゃべりをし、ストレスを発散し、すっきりとした気持ちで保育室に帰ってきます。そして、室内での活動にも意欲的に取り組む姿が見られます。外で砂や土で遊んだり体をいっぱい使ったりして遊ぶことで、「思いっきり遊んだ」という満足感が得られやすいのかもしれません。

戸外遊びのよさ
適度な刺激となり皮膚が鍛えられ、雑菌に対する抵抗力にも強くなります。
視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚などの五感が育ちます。いろいろな感覚を使って遊ぶことで「匂いがする」「チクチクする」「もっと近くで見てみよう」等、五感が刺激され感性も磨かれていきます。
また、走ったり登ったり跳んだり体をいっぱい動かしたりして遊ぶことで、体の調整力も培われていきます。園庭に起伏のある山がいくつもあるのは、遊ぶ中でで平地では培うことのできない体のバランスや筋力などが自然と育つようにとの思いがあるからです。
「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」
(ロバート・フルガム著)
みんなで大きな山を作ると、水を流しながら川のイメージとして広がり、水を通そうという発想がトンネル作りに発展していきます。自然に役割分担が生まれ、一人では難しいことを近くの友だちが手伝い、ああしようこうしようという言葉を交わす中でイメージが共有され、さまざまなやりとりの上に「大きな山」ができあがっていきます。
砂も水も仲間も、大事な環境なのです。
ケンカやちいさなケガ

大人が言葉で「仲良くしなさい」と伝えても、一見その行動をしているように見えるかもしれませんが、実は子ども達の気持ちが動いて行動しているわけではありません。 大人の都合でコントロールされてきた子は、自分でコントロールする力が未熟なまま育ってしまいます。
友達とぶつかり合い、自分たちで考えて解決してきた経験の中で、周りとのかかわり方を考えて自分をコントロールする力が育っていきます。 子どもたちは、友だちと一緒に過ごしていく中で、物の取り合いや思いの行き違いを必ず経験します。そして、不快な思いや悲しい気持ちを味わいます。
でも、友達とは遊びたいので、どうしたらそんな思いをしないですむか自分たちで考えながら行動していきます。
そんな育ちのチャンスを、大人が「はいはい、ケンカはやめてね」「ごめんなさいは?」と思ってもいない「ごめんなさい」を子ども達に無理矢理言わせてしまうことは、せっかくの育ちのチャンスを奪ってしまうことになります。子ども達は、友達とのかかわりの中で相手とのほどよい距離間を保ったり、けんかをしても仲直りしたりする経験を自然と学んでいるのです。
ケンカを通して育つ姿

友だちとの気持ちのぶつかり合いや葛藤が起きた時、めぐみの保育者はすぐに声をかけたりせず、少しだけ距離を保ちながら様子を見守るようにしています。大概は、気持ちをぶつけ合ったり折り合いをつけたりしながら、自分たちで解決しています。 しかし状況によっては保育者が
「嫌な気持ちになったんだね」
「どうしたかったの?」
「○○したかったんだね」
「△△ちゃんはどんな気持ちだったの?」
ということを尋ねながら丁寧にかかわることで、子ども達は自分の気持ちと相手の気持ちに気づき、言葉にしていきます。そして、どうしたらお互いにとって快適に過ごせるのか、何度も経験しながら少しずつ気づいていくのです。これにはたくさんの時間が必要ですが、心はじっくり育っていくものなのです
相手の気持ちに気づいたり、自分の思いを伝えたり、折り合いを付けて解決できたりした経験が、喜びや自信となって、いろいろなことを少しずつ乗り越えられる力になっていきます。
また、自分の感情や行動も少しずつコントロールできるようになります。そして、そんな経験を繰り返してきた青帽子たちは(年長)いろいろな場面で話し合いをするようになっていきます。 その場に一緒にいた友だちが間に入ってそれぞれに話を聞いたり、その気持ちをみんなでまとめてお互いに納得し合ったり、自分たちで解決し、また一緒に遊び始める姿をよく見かけます。子どもたちの成長を感じることができる瞬間です。
子どもたちは遊びの中でいろいろな経験をします。特にこの時期の子ども達は、高い所に登ったり狭い所に隠れたりすることが大好きです。大人から見るとハラハラしてしまうようなことを喜んでやります。 冒険心のある子は、身体を動かしながらチャレンジすることが大好きで、できるようになると次はさらに難しいことにチャレンジします。その姿をみて、別な子もチャレンジしてみようとします。でも、思ったようにうまくいかず、失敗することもあります。そのため、擦り傷や打撲など、ケガをしてしまうこともあります。 しかし、そんな経験がないと、「この木なら登っても大丈夫」「この高さは危ないぞ」など自分なりの『大丈夫』と思える感覚も育ちません。
めぐみでは、子どもの「したい」気持ちを大事にしながら、いろいろと挑戦してみる姿を危険でない限り見守るようにしています。走って転んでも、木からずり落ちてもケガはします。ちいさなケガは、チャレンジの証と受け止めてあげてほしいと思います。
でも本当はやっぱり、みんなケガをせず家に帰れるといいなと思っています。
命の営み

1986年にトカラヤギのメリーとメーコを飼い始めて、今のヤギは何代目になるのでしょう。40年近くたち、ヤギがいる園として親しまれてきました。新しい園舎になり、門を入るとすぐにヤギたちがお出迎えしてくれるようになりました。 登園時に、野菜の皮などを持ってきて、ヤギに餌をあげてから保育室に入る子もいます。
子ども達が遊びながら園庭の草を取り、ヤギたちにあげる光景もよく見かけます。やっと一言・二言言葉が出始めた0、1歳児が草をちぎり「メーメー」と言いながらヤギに近づく姿は、とてもかわいらしいですし、子ども達にとって大事な存在であることに気づきます。
子どもたちにとっては、動物たちも友だちと同じように共に園生活を過ごす仲間なのです。動物を飼うことで、みんなの心の癒しになったり、生き物の動きや反応から不思議さや驚きを体験したり、ふれあうことで命の大切さが育っていきます。 これまで、園にいた犬や羊、豚、ヤギが神様のもとへいきました。子どもたちは、棺の中を花でいっぱいにして「今まで遊んでくれてありがとう。天国で見守っていてね。」とお祈りをして見送ってきました。
体力が落ち、しだいに歩けなくなり、食事もとらなくなりながら息絶える姿を子どもたちに見せることは残酷なような気もしますが、一緒に生活をしてきた仲間の「死」まで通してかかわることができることで、命の大切さを知ることにつながっています。